諏訪之瀬島で検索したら結構ぉおお上の方出てきた
いまきた 説明文ないの?
投稿したのが08/18 14:56で25166も再生されてるってすごいな
1回見たら満足しちゃったなあ
わたしの動画が好きで好きでたまらないおまえら~
諏訪之瀬島で8とか荒れ過ぎわろwww
集落町並みWalker _JPN Walker死亡フラグか・・・?
なんだかんだで見てしまうな~
強引に行ったw
低評価6wwwww
おつおつ
集落町並みWalker _JPN Walkerこれは・・もはや死亡フラグか・・・?なんなのか・・
諏訪之瀬島で8とか荒れ過ぎわろwww消さんのかな
なんで伸びてんの?
再生回数:25166
高評価:まやかし
139
低評価:6
投稿日:08/18 14:56
ちな08/18 14:56時点での情報ねwww
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諏訪之瀬島
十島村の中で2番目に大きい。島の中央に799mの御岳があり、今なお噴煙をあげる活火山の島である。『日本書紀』の白雉5年(654)に「吐火羅国の男二人、女二人、舎衛(きえ)の女一人、風にあいて日向に流れ来たり」とある舎衛は諏訪之瀬島ではないかとの説がある。十島村の中でももっとも激しい活火山を抱くこの島は、過去何回となく大噴火を起こした。文化10年(1813)噴火はひどく、東村と西村の50戸あった人家は潰滅し、200余人の人々は悪石島・中之島へ移住した。中之島では在番が一部の人々を平島や臥蛇島・口之島に移し、ただ1人の死者も出さなかった。『拾島状況録』によると明治28年当時、旧墓地跡に埋没を免れた墓石若干あって、その1つには安政6年(1777)の年代と肥後市郎右衛門の名があったという。おそらく郡司墓であろうが、諏訪之瀬島も他と同じように肥後氏の勢力が強かった。諏訪之瀬島の本格的な開拓は明治期に入ってからで、奄美大島の藤井富伝らが明治9年7月の踏査経て、同16年4月に27人の有志を得て入植したことに始まる。翌17年10月の大噴火被災など幾多の困難を経て同28年には36戸に増えた。島の主神は八幡神で明治の入植後八幡神社が再興された。主峰の御岳のほかに村落近くの根神山などの旧名称が残っており、沖縄・奄美の影響を受けた信仰がしのばれる。現在の住民は奄美大島からの移住者の子孫と、安住の地を求めて移住してきた県外出身者で構成される。県外者は一時ヒッピー(他の住民からはパンヤンとも)といわれたことがあるが、現在はこうした新しい住民が中心となったユニークな島づくりが進められている。北西部の溶岩台地には手つかずのマルバサツキが自生し、春になれば一面赤とピンクのお花畑と化す。(「シマダス」参照)
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>>17 おつかれ。いつもありがと
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