ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=852404 / CC BY SA 3.0
#ウクライナ・ソビエト社会主義共和国
#かつて使用されていた国旗
#ソビエト連邦構成共和国の旗
#ウクライナの国の象徴
#水平二分旗
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗は、その施行規則によれば「ウクライナ共和国の主権、他の対等なソビエト連邦構成共和国との自発的交流、労働者・農民・知識人の破られることのない団結、共産主義社会を築くすべての民族・国籍の労働者の友好と兄弟愛の象徴」とされる。
1917年12月にハリコフで発足したソビエト派ウクライナ人民共和国(後にウクライナ・ソビエト共和国を経てウクライナ社会主義ソビエト共和国となる)は、ロシア共和国人民委員会議が唯一の合法的なウクライナ政府と認めたものであった。
現代のいくつかのソースでは、ウクライナ人民共和国の国旗はカントンに青と黄色の水平帯(これは上下逆の場合もある)を表示した赤旗とされているが、これには同時代の史料に言及がないという異論もある。
また、同時期のドネツク=クリヴォーイ・ローク・ソビエト共和国国旗を「上から白・緑・黒の三色帯をカントンに表示した赤旗」とする意見もあるが、これも信頼に足るソースを欠いている。
ソビエト派ウクライナ人民共和国の国旗とされるもの その後、ウクライナ革命を経て1919年1月6日にボリシェヴィキがウクライナ社会主義ソビエト共和国の成立を宣言すると、3月10日に全ウクライナ中央執行委員会 (uk) は第3期全ウクライナ・ソビエト大会 (en) 最初のウクライナ共和国憲法を承認し、14日に最終版を採択した(これは、1918年のロシア共和国憲法が定めた貿易旗・海上旗・軍旗に関する規定の完全なコピーである)。
第35条:ウクライナ社会主義ソビエト共和国の貿易旗・海上旗・軍旗は、左隅旗竿付近上部に金文字で «У.С.С.Р.» ないし «Украинская Социалистическая Советская Республика» と表示した赤色(緋色)の布である。
実際には、この時期にはロシア共和国の国旗と同様に国名の文字が金枠で分割されたものや、国名表記がロシア語の «У.С.С.Р.» ではなくウクライナ語の «У.Р.С.Р.» とされたもの、さらに赤旗でなく青と黄色の水平二分旗上に «У.Р.С.Р.» と表示したものも使用されていたとみられる。
1921年8月10日から1923年1月15日までの貿易旗 1921年7月27日に中央執行委員会は委員会令により、漁船旗について「大きな白文字で «У.С.С.Р.» と、その下部に旗の高さの半分、幅の8分の1の大きさの白い魚を表示した縦横比1:2の赤旗」を、8月10日には貿易旗について「金枠で囲まれ、金文字で «У.С.С.Р.» と表示した赤い領域を左隅に持つ赤旗」を承認した。
しかし、ソビエト連邦発足に際して1923年1月15日に発された中央執行委員会議長令においては、貿易旗と漁船旗のデザインは1919年からの国旗デザインと統合された。
1919年3月14日から1929年6月23日までの国旗 1926年4月3日にウクライナ共和国NKVDが公布した規則にはこうある。
ウクライナ社会主義ソビエト共和国の国旗は、左上部旗竿付近に金文字で «УССР» ないし «Украинская Социалистическая Советская Республика» と表示した長方形の赤い布である。
布色は真紅ないし赤でなければならない。
色濃度については異なるものも許容されるが、色調については赤に近いものとし、他のいかなる色(黄、茶、赤紫など)とも混色してはならない。
〔略〕 布の大きさは、高さにおいて半メートルを下回ってはならず、幅は高さの1倍半以上でなければならない。
1927年7月には、ウクライナ人民委員会議および中央執行委員会が「言語の平等およびウクライナ文化の発展の実現について」の勧告を発し、また、行政法によっても「国旗において、表記される言語はウクライナ語でなければならず、民族地域ではウクライナ語に加え少数民族語でも国旗に注記が許可されるべきであると言わざるを得ない」と求められた。
そして、1929年6月23日からの新憲法第81条により、国名のウクライナ語表記 «У.С.Р.Р.» は正式なものとなった。
ウクライナ社会主義ソビエト共和国の国旗は、左上部旗竿付近に金文字で «УСРР» ないし «Українська соціялістична радянська респуб...
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