ここから満州事変の経過を解説していきます。まずその①では柳条湖事件から協力内閣運動で若槻礼次郎②内閣が総辞職し、犬養毅内閣が成立するまでの過程です。
柳条湖事件は関東軍による不戦条約違反と取られないためのカモフラージュが行われたことを理解する必要があります。つまり、関東軍のメンバーは「確信犯」であり、その軍事行動は事件の火消しに走る幣原喜重郎外相の国際的な信用を失墜させるに至ります。関東軍が確信犯的な行動を展開したことで、徐々に事件は拡大していきます。
若槻②内閣が陸軍を統制できない背景として、統帥権干犯問題の影響で「統帥権の独立」が強調されるような状況が生まれていたことを理解する必要があります。協力内閣運動はそうした状況下において、2大政党が何とか陸軍に対する統制を確立しようとした試みの1つとして理解できます。運動を主導した安達謙蔵が民政党の大物政治家だったこと、若槻首相の対応が二転三転したこともあり、若槻礼次郎②内閣が閣内不一致で総辞職したと理解されたこともあり、犬養毅立憲政友会内閣の成立に至ります。
関連動画
ワシントン体制→https://youtu.be/XkWkBUdhcQA
不戦条約 →https://youtu.be/6twnbXp4l_c
統帥権干犯問題→https://youtu.be/jioUThrgeUQ
兵政分離 →https://youtu.be/AKNB13UkxGg
参考問題…一橋1996-3-1
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