日本がソ連(現ロシア)に返還を求めている北海道北東に位置する北方四島。
1940年代に日本人が強制退去させられてから今まで不法占拠が続いていると日本は主張している。
しかしソ連(現ロシア)側にも言い分があり、北方領土問題は一向に解決に向かわない。今回は両者の言い分を冷静に分析してみようと思う。
他の根拠や、ご指摘等ございましたら、是非コメント欄にお願いいたします。
みなさんの意見を聞かせてください。
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      動画概要
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日本と諸外国の間で解決していない国際問題は多数あるが、今回はソ連(現ロシア)と長い戦いを続けている北方領土問題について紹介したい。
北海道北東に位置する択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島、この4つの島を北方四島と呼んでいる。

この島の存在をソ連(現ロシア)よりも先に日本が発見し、多くの日本人が島々を統治するために渡航したことによって北方四島は日本の領土となったのだ。

1855年に日本とソ連(現ロシア)の間で日魯通好条約(下田条約)を調印し、この際に自然な流れで国境は択捉島とウルップ島ということで成立。
それは平和且つ友好的に行われたものだった。

第二次世界大戦終了直前、ソ連(現ロシア)が日ソ中立条約に違反し、日本に突然宣戦布告。満州・樺太・千島に進軍してきたのだ。
そして、1945年の8月28日?9月5日の期間で、ソ連の人間は誰1人として住んでいなかったにも関わらず、北方領土を全て占領してしまった。
北方四島に住んでいた日本人は約1万7千人だったが、1948年までに全ての日本人を強制退去させた。

ここから現在に至るまで北方領土はソ連(現ロシア)に占領されているという、とても長い歴史なのだ。

まずは日本の主張から説明しよう。
北方領土と千島列島を描いている最も古い地図は、1644年の「正保護国絵図」。
知床半島や納沙布岬の東に「くるみせ」とまとめられた大小39の島々が描かれていた。
その中で34の島に「くなしり」「えとろほ」「うるふ」など、今と似たような名前の島名が付けられていることがわかっている。

一方ロシアは最も古い地図で1739年作成のもの。
千島列島に沿い、北方領土を探検し地図を作成したようだ。

歴史的に見ると日本の方がソ連(現ロシア)よりも早く、北方四島を見つけていることは明らかである。

18世紀の末には江戸幕府の管轄地だった。
北方領土を直接統治することが決まり、任務を任された近藤重蔵が指揮をとり、14年間に渡り統治へと向かっていった。

地図の作成やソ連(現ロシア)南下の実地調査、アイヌ人がどのような生活をしているのか調べ、それぞれの島への航路を開発し、島内の道路開発や船の避難港を設けるなど、その苦労は計り知れない。

積極的な開拓をし、日本の領土であることを明らかとするために「大日本恵登呂府」の標柱を建てた。

1875年、明治時代にソ連(現ロシア)と「樺太・千島交換条約」を結び、北方領土全域は日本の領土となった。

この条約で、日本は北方四島と千島列島全域を領有し、その代わりに樺太の権利を一切放棄した。
北方四島と千島列島全域を領有しても、比にならないくらいの面積と資源を持つ樺太を手放すのは日本にとって痛手ではあったが、平和的な話し合いでこの条約は結ばれたのだ。
これで北方領土は、日本人が開拓し住み続けていた、一度も外国の領土になったことがない国有の領土となった。

一方でソ連(現ロシア)の主張を見てみよう。

1945年、ソ連の保有地であるヤルタにアメリカ・イギリス・ソ連が集まり、秘密協定を取り決めた「ヤルタ協定」というものがある。

これは、アメリカがソ連に対して「対日戦争に参加してほしい。日本がこの戦争で負けたら、樺太南部と隣接する一切の諸島はソ連に返還されるし、千島列島もソ連に引き渡されるよ。」という内容だったのだ。

日本は全く、この協定が行われていたことを知る由もなく、戦争に負けてしまった。
そして日本への降伏要求の最終宣言が正式名称のポツダム宣言。

イギリス・アメリカ・中国、それぞれの国のトップが日本へ向けて発した宣言である。
ポツダム宣言を受諾した日本は、本州・北海道・九州・四国以外の地域を日本国有のものと主張することができなくなってしまった。

第二次世界大戦後に、日本と連合国の平和回復を目的としたサンフランシスコ講和会議が行われた。
戦争に負けた日本が国際会議への復帰を目的として戦後はじめて会議に参加した。

52もの国が参加し、49ヵ国はこれに調印。
ソ連(現ロシア)を含む3ヵ国は調印しなかった。

しかしこの条約の中にも、千島列島と樺太の一部、隣接する島に対する全ての権利を放棄する内容があり、日本も同意している。

ソ連(現ロシア)側は千島列島に北方四島も含むという考えであり、我々ソ連(現ロシア)はサンフランシスコ講和条約に調印はしてないけど、日本はあの時、島の権利を放棄すると認めてますよね?という言い分なのだ。

1945年の終戦後にソ連軍によって占領されてしまった北方領土の島々。
8月28日に択捉島へ上陸し、占領するまではほんのわずかな期間だった。

しかしソ連軍に見つかってしまったり、荒波で船が遭難してしまったりと、中には命を落としてしまう人もいたらしい。

一番ソ連に近く、日本へ遠かった択捉島は、全く予期していない占領と脱出に使用できるような船がなかったことで、残留を余儀なくされた。
残された住民たちの扱いは酷いもので、私有財産を奪われ、土地、馬や牛などの家畜、船舶などソ連に全て国有化されてしまった。
それだけでなく、強制労働に連行されるが食料も給料もまともに与えられない杜撰な扱いに不自由な生活送る羽目になったのだ。

1956年には「日ソ共同宣言」が発効したが、ソ連は領土問題は無いと主張している。
戦争状態の終了と、外交関係の回復などは定めることができたが、北方領土問題において意見一致の見通しが立たないことから平和条約には至らなかった。

最終的に「平和条約締結に関する交渉は継続していく」という形で治ったのだ。

日本は北方領土全域の返還を求めていたが、ロシアは「歯舞と色丹は平和条約締結後に日本に引き渡すよ」と、二つの島を返還することでこの問題を終わらせたい様子を示していた。

だが歯舞と色丹を日本へ返還することは約束をしたロシアに対し、これだけでも大きな進歩だと思ったが、その考えは甘かった。

その後新たな条件「日本領土から全外国軍隊が撤退したら引き渡す」という無理難題を突きつけてきたのだ。

日本側からすれば、確かに領土の放棄はしたものの北方領土は放棄していたわけでは無いという考えと、千島列島に北方領土も含むと考えているソ連(現ロシア)側としてはもう私たちの領土ですという、両者の主張。

皆さんは北方領土問題についてどう思う?コメント欄で教えて欲しい
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