東日本大震災から11日で10年を迎えます。「つなぐ、つながるプロジェクト」です。津波と原発事故に見舞われた福島県南相馬市で、家族4人を亡くしながらも懸命に生きる男性がいます。男性が今、多くの人たちに伝えたいこととは。
東日本大震災で最大19メートルの津波が押し寄せ、甚大な被害を受けた南相馬市。636人が犠牲になり、今も87人が行方不明のままです。
南相馬市原町区に住む上野敬幸さん。上野さんも、この津波で両親と長女の永吏可ちゃん(当時8)、長男の倖太郎くん(当時3)を亡くしました。母・順子さんと長女の永吏可ちゃんの遺体は自宅近くで見つかりましたが、父・喜久蔵さんと倖太郎くんは今もまだ見つかっていません。
「もうみんな全部、見ていないところ無いというくらい探したんだけど」(上野敬幸さん)
震災翌日には、自宅からおよそ22キロ離れた東京電力福島第一原発で事故が発生。住民のほとんどが避難するなか、上野さんはまちに残り、倖太郎くんを探し続けました。そんな生活を続ける上野さんの生きる希望になったのが、東日本大震災からおよそ半年後に生まれた“娘の存在”でした。
「お姉ちゃんとチビの生まれた時と同じ顔してる」(上野敬幸さん)
姉弟から一文字ずつとって、「倖吏生」と名づけました。その後、倖吏生ちゃんは両親の愛情を受けながら、すくすく成長していきました。
「この子がいるから、自分の命を自分でという風には考えなくなってきたと思う。助けられています、存在としては」(上野敬幸さん)
上野さんは今、震災後に立ち上げたボランティア活動に積極的に取り組んでいます。毎年5月になると、自宅前に作った菜の花畑を無料で開放。多くのものが失われた場所に、子どもたちの無邪気な笑顔が溢れます。
「笑っていなければ亡くなった人たちが心配する」。その想いで、上野さんは今も活動を続けています。
東日本大震災から10年。無邪気に駆け回っていた次女・倖吏生ちゃんは9歳になりました。
「小さい時の記憶なんてないもんね。幼稚園くらいならわかる?」(上野敬幸さん)
「うん、なんとなく」(次女 倖吏生ちゃん)
全国的にも自然災害が増えるなか、上野さんは今、多くの人に伝えたいことがあります。
「自分と同じ思いをして泣かないでほしい。大切なひとの命を守って、『命があって、助かってよかった』ってみんなが言えるようになってほしい。だから『教訓』だけが残ればいい」(上野敬幸さん)
新たに生まれた命を必ず守るために、上野さんはあの日の教訓を胸に焼き付け、これからも同じ場所で生きていきます。(09日10:11)
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